昨今の大学における神話と童話

大学改革とそれによってもたらされたすばらしき世界。

ミミなし

A大学にHという歴史の教授が奉職していた。Hは講義が得意で、特に先の大戦の分析では「学生も涙を流す」と言われるほどの名手だった。
ある夜、突然一人の役人が現われる。Hはその役人に請われて、研究室の弟子とともに「高貴なお方」がいる役所に講義に行く。Hにはよくわからなかったが、そこには多くの権力者が集っているようであった。 戦争の終結のくだりをと所望され、Hが講義を始めると皆熱心に聴き入り、Hの分析の巧みさを誉めそやす。しかし、講義が佳境になるにしたがって皆声を上げてすすり泣き、激しく感動している様子で、Hは自分の講義への反響の大きさに内心驚く。Hは七日七コマの講義を頼まれ、弟子である院生たちと夜ごと出かけるようになる。

 学長はHたちが講義に出かけていく事に気付いて不審に思い、事務局の人間たちに後を付けさせた。するとHはその弟子たちとともに、総理大臣を輩出する党の本部の中におり、弟子たちとともに講義をしていた。事務員たちは慌ててHを連れ帰り、学長に問い詰められたHはとうとう事情を打ち明けた。 学長は議員たちが単にHたちの講義を聞くことだけでは満足せずに、歴史に危害を加えることを恐れ、これは危ない、このままではH一派の発言が権力者に圧殺されてしまうと学長は案じた。

 学長は自分がそばにいればHを守ってやれると考えたが、生憎夜は会議でHのそばについていてやることが出来ない。かといって他の教員や事務局では力不足である。 Hを権力者の席に連れていっては、Hの弟子たちを含め、大勢に影響が及ぶことになり、これでは権力と大学との間にトラブルを発生させる危険性がある。 

そこで学長はHとその弟子たちを権力者と接触させても発言を高度化することでHを守る方法を採用することでH派を守ることにした。 学長は議員たちの「難しい部分は理解できない」という権力者の性質を知っていたので、政治家がHの発言を確認できないように、弟子たちを含め、パワーポイントの内容を高度化した。

しかし、この時、Hの一番年若い弟子である大学院修士一年、脳天気なミミちゃんに、難しいことを言え、ということを徹底することはできなかった。また、言ったところで「ミミ、難しいことはワカンナイ」と言われのがオチであった。 

その夜、Hが弟子たちと座っていると、いつものように役人がHたちを迎えに来た。 しかし、高度化されたHたちの講義内容は、政治家はもとより、偏差値は高いがまともにモノを考えたことがない役人にはわからない。

Hは、質問にも、きちんと答えて、一言で要約したわかりやすい返事をしないでいると政治家は当惑し、「声も聞こえない、姿も見えない。さてHはどこへ行ったのか・・・」という独り言が聞こえる。 そして政治家には、大学院修士一年、脳天気なミミちゃんだけが見え、「Hの発言がわからない仕方がない。ミミちゃんだけでも持って帰ろう」と考えた。

で、Hとその弟子一派からミミちゃんだけを将来の議員候補としてもぎ取って、そのまま去って行った。 大学に戻った学長は、ミミちゃんをもぎ取られ、心が血だらけになった傷心のHの様子に驚き、一部始終を聞いた。

Hは「ミミなしH」と呼ばれるようになった、ということは別になかった。

価値価値

昔々あるところに、理事長と学長がいました。学長は会議に出てこれからの大学改革の方針を発表をしていていました。 「大学は社会のためになれ」 と歌いながら。
ところがそれを見ていた、優秀な研究者、田貫先生が、学長の発表を見て 「矛盾は矛盾さ」 と言って質問をして立ち往生させてしまいました。 理事長はいつまでたっても学長の方針が出てこないので変に思っていましたが、あるときそれが田貫のしわざであることが分かりました。

 そこで理事長は知らんぷりふりをして、田貫先生が会議に出てくるのを待ち、用意していた話題でつかまえました。そしてそれをきっかけに言葉巧みに、自分たちの執行部に入れておきました。 執行部の一員となれば、学長・理事長の権力は絶大です。学長は、つかまえた田貫先生を、行政の仕事漬けにしていじめました。

 「理事長。悪いタヌキをつかまえたぞ。タヌキ汁にして食おう」 といって、また権力闘争に戻りました。 会議では学長が、アカハラでいじめる準備を始めました。田貫氏は食われてはたまらんと、何とか逃げようとしますが、どうしても縄から抜けることができません。そこで学長に涙ながらに言いました。 「学長、行政の仕事がきつい。少し緩めてくれないか」 「そんなことしたら、お前は業績を作って逃げるだろう。お前に逃げられては理事長に叱られる」 学長はそういって仕事を押しつけ続けます。

田貫先生は一計を案じました。 「学長、私は悪い教員でした。食べられても仕方ない。でも、学長も論文業績を一人で作るのは大変だろう。私が手伝ってあげるよ。そして理事長には黙っていればいいだろう?」 田貫先生はしおらしく、そう言いました。すると学長はすっかりだまされてしまい 「そうかい。だったら手伝ってもらおうかねぇ」 と言って、縄を緩めました。 すると田貫先生は、いきなり学長を飛び越えて業績をつくって逃げてしまいました。 学長は、ショックのあまり寝込んでしまいました。田貫先生にだまされただけでなく、数年ぶり、十数年ぶりの業績がふいになったからです。

 学長が力無く泣いていると、ウサギのような可愛い女性教員がやってきました。 「学長、学長、どうしたの?」 学長は、ウサギに全てを話しました。するとウサギは「ひどい奴だ。私が仕返ししてアゲル(ハート)」と言って飛び出していきました。

 ウサギは田貫先生がよく行く学会で、院生を拾い始め、手なずけました。するとそこに田貫先生がやってきました。 「ウサギ先生、何してるの?」 「院生を拾っているんだよ。田貫先生も拾っておいた方がいいよ」

 ウサギ先生はちょっと美人でした。 そこで田貫先生もウサギと一緒に院生と研究をしました。 やがて院生がいっぱい集まり、データも取れましたので、二人は学会発表を始めました。ウサギは田貫先生をファーストオーサーにして、後ろにまわりました。そして田貫先生にお荷物の院生を背負わせました。そして火をつけました。

火とは、院生によるデータのねつ造、手抜きです。 <カチ、カチ> 「ウサギさん、あのカチカチいう音は何だろう」 「あれは、価値価値があるとみんな言っているんだわ」 とウサギは誤魔化しました。田貫先生はいい年なので、メールは使えても、ネットの裏はみえません。 やがて、ねつ造が噂になり、ネットに火が付き、<パチ、パチ>と音を立て始めました。 

「ウサギさん、あのパチパチいう音は何だろう」 「あれはパチパチ山のパチパチ鳥が鳴いているんじゃありません?」 とウサギはまた誤魔化しました。 

やがてネットの火は勢い良く、<ボー、ボー>と燃え始めました。 「ウサギさん、あのボーボーいう音は何だろう」 「あれはボーボー山のボーボー鳥が鳴いているんですわ」 とウサギはまたまた誤魔化しました。 

しかし、そのうち田貫先生は背中があつくなって「アチ、アチ」と叫んで、論文を取り下げて逃げました。 

次の日、ウサギは大学で実験をしていました。そこへ田貫先生がやってきました。 「見つけたぞ。このあいだはひどい院生を押しつけてくれたな」 と怒っています。ウサギが「何のこと?(ハート)」と聞きますと田貫先生は院生のことを話しました。するとウサギは 「院生は院生。ウサギにはそこまではわかりませんわ(ハート)」 と長い睫毛を涙をためていいます。すると田貫先生も「もっともだ」と納得。 


そこへウサギは 「今、新しい学部を作っているんだ。グローバル化しようと思って。田貫先生もお乗りにならない?」 と誘います。田貫先生が「面白そうだ」といいますと、ウサギは 泥をこねて学部を作りました。 そしてウサギと田貫先生一緒の学部を始めました。

 ところが新学部は泥なので、やがて溶けだし、穴があいて沈んでしまいました。 「助けてくれ!」 と田貫先生が叫びましたが、ウサギはさっさと違う船に乗り換えました。 「あなたは、前に権力者に逆らったでしょ。そのバチが当たったんだと思うんだね」 といい、放っておきました。 

かくして、田貫先生は川に沈んで死んでしまいました。

ある寒い夜

ひどく寒い日でした。 雪も降っており、すっかり暗くなり、もう夜 ―― 冬の夜でした。 この寒さと暗闇の中、一人のあわれな研究者が道を歩いておりました。

研究者はラップトップをもっていました。 ええ、確かにもっていたのです。 でも、古いラップトップは何の役にも立ちませんでした。 それはとても重いコンピュータで、 これまで研究者のお母さんが使っていたものでした。もう大学からは何も支給はされないからです。
たいそう遅いコンピュータでした。 かわいそうに、大急ぎで原稿を書いたとき、研究者はそのコンピュータをこわしてしまいました。 壊れたコンピュータのかわりは見つかりませんでした。新しいコンピュータを買うにはお金が必要です。 それで研究者は街に歩いていきました。

 身体は冷たさのためとても赤く、また青くなっておりました。 研究者は古いかばんの中にたくさんの論文を入れ、 手に一たば持っていました。 研究費は自分で稼がないと。「論文、論文はいりませんか」研究者は街をよろめきながら、論文を買ってくれる人を探しました。

 日がな一日、誰も研究者から何も買いませんでした。 わずか一円だって研究者にあげる者はおりませんでした。 寒さと空腹で震えながら、 研究者は歩き回りました ―― まさに悲惨を絵に描いたようです。 かわいそうな大学教員!

 ひらひらと舞い降りる雪が研究者の長くて白色の髪を覆いました。 その髪は首のまわりに下がっています。散髪に行く時間もお金もないからです。 もう少し身なりを整えれば、注目されるのかもしれません。でも、もちろん、研究者はそんなことなんかかまっていません。

 どの窓からもLEDの輝きが広がり、 鵞鳥を焼いているおいしそうな香りがしました。 ご存知のように、今日はクリスマスです。 そうですが、研究者はそのことは考えていませんでした。 二つの家が街の一角をなしていました。 そのうち片方が前にせり出しています。 研究者はそこに座って小さくなりました。 引き寄せた研究者の小さな足は体にぴったりくっつきましたが、 研究者はどんどん寒くなってきました。

 けれど、研究室に帰るなんてできません。 論文はまったく売れていないし、 たったの一円も持って帰れないからです。このまま帰ったら、きっと天下り理事さんにぶたれてしまいます。 

それに研究室だって寒いんです。研究室に帰ったところ、寒いのと暗いのと、すきま風が吹着込むのは街に座っているのとさほど変わりはありません。 大きなひび割れだけは、紀要とぼろ切れでふさいでいますが、 上にあるものは風が音をたてて吹き込む天井だけなのですから。

 研究者の両手は冷たさのためにもうかじかんでおりました。 ああ! かばんの中から論文を取り出して、 火を付けて、その熱で身体をあたためれば、 それがたった一本の論文でも、研究者は ほっとできるでしょう。 研究者は、かつて学会で好評を博した論文の抜き刷りを取り出しました。  ≪シュッ!≫ 何という輝きでしょう。 何とよく燃えることでしょう。 温かく、輝く炎で、 上に手をかざすとまるで蝋燭のようでした。 すばらしい光です。 研究者は、 少し前の学会の様子を思い出しましたい。独法化前、ほんの少し前の暮らしです。 その時はまだ予算があり、てっぺんを目指す余裕がありました。

 論文を燃やす炎は、まわりに祝福を与えるように燃えました。 いっぱいの喜びで満たすように、炎はまわりをあたためます。 研究者は足ものばして、あたたまろうとします。 しかし、―― 小さな炎は消え、学会の幻も消えうせました。 残ったのは、手の中の燃え尽きた論文だけでした。

 研究者はもう一つ論文を取り出しました。 論文は明るく燃え、その明かりが壁にあたったところはヴェールのように透け、 ビルの中が見えました。 そこは門下さまにおつとめの方のお屋敷でした。テーブルの上には雪のように白いテーブルクロスが広げられ、 その上には豪華な磁器が揃えてあり、 焼かれた鵞鳥はおいしそうな湯気を上げ、 その中にはリンゴと乾しプラムが詰められていました。 ちょうどそのとき――論文の火はが消え、厚く、冷たく、じめじめした壁だけが残りました。

 研究者はもう一本論文に火をともしました。 すると、研究者には幻が見えました。最高に大きな図書館に座っていました。 その図書館は、 かつて見た海外の大学の図書館のようでした。何千もの本がみえ、 最新の研究成果が研究者を見おろしています。 研究者は両手をそちらへのばして――そのとき、論文の火が消えました。 星の光は高く高く上っていき、 もう天国のように見えました。 そのうちの一つが流れ落ち、長い炎の尾となりました。 「いま、誰かの情熱がなくなったんだ!」と研究者は言いました。 

というのは、おばあさん――研究者を愛したことのあるたった一人の人、いまはもう亡きおばあさん――がこんなことを言ったからです。 星が一つ、流れ落ちるとき、魂が一つ、神さまのところへと引き上げられるのよ、と。 もう一本論文に火をつけました。 すると再び明るくなり、その光輝の中におばあさんが立っていました。 とても明るく光を放ち、とても柔和で、愛にあふれた表情をしていました。

 「おばあちゃん!」と研究者は大きな声をあげました。 「お願い、わたしを連れてって! 論文が燃えつきたら、おばあちゃんも行ってしまう。 かつての学会みたいに、 海外の大学みたいに、 それから、あの大きな図書館みたいに、 おばあちゃんも消えてしまう!」 研究者は急いで、とうとう書きかけの論文にまで火をつけました。 おばあさんに、しっかりそばにいてほしかったからです。 

論文のたばはとてもまばゆい光を放ち、昼の光よりも明るいほどです。 このときほどおばあさんが美しく、大きく見えたことはありません。 おばあさんは、研究者の魂をその腕の中に抱きました。 二人は、輝く光と喜びに包まれて、高く、とても高く飛び、 やがて、もはや寒くもなく、空腹もなく、心配もないところへ――神さまのみもとにいたのです。


 けれど、あの街角には、夜明けの冷え込むころ、かわいそうな元研究者が座っていました。 薔薇のように頬を赤くし、口もとには皮肉な微笑みを浮かべ、 壁にもたれて――古い一年の最後の一日に学問を捨て、大学行政に生きることを決意したのです。 研究者は解析前のデータたくさん消して、体を硬直させてそこに座っておりました。 書きかけの論文のたばは燃えつきていました。 「家族を養うためだったんだなあ」と人々は言いました。失われた研究成果がどんなに美しい花を咲かせたかを考える人は、 誰一人いませんでした。