昨今の大学における神話と童話

大学改革とそれによってもたらされたすばらしき世界。

国立(前編)

 研究者の卵、院生は、国立にばかり棲んでいるのではありません。私立にも棲んでいたのであります。
  私立大学のキャンパスは、青うございました。ある時、ベンチの上に、私立大学の教員がすわって、あたりの景色を眺めながら休んでいました。

  雲間から洩(も)れた月の光がさびしく、キャンパスの上を照していました。どちらを見ても限りない、雲がうねうねと動いているのであります。  なんという淋しい景色だろうと教員は思いました。自分達は、国立大の研究者とあまり姿は変っていない。企業の人間や、また底深い海の中に棲んでいる気の荒い、いろいろな事務員とくらべたら、どれ程国立大の教官の方に心も姿も似ているか知れない。それだのに、自分達は、やはり魚や、獣物等といっしょに、冷たい、暗い、気の滅入(めい)りそうな私立大学の中に暮らさなければならないというのはどうしたことだろうと思いました。
  長い年月の間、研究の話をする相手もなく、行政と教育、入試、高校営業、社会貢献その他、掃除当番等に追われている日常を考えると、国立大のいつも明るい研究者の環境に憧がれて暮らして来たことを思いますと、教員はたまらなかったのであります。そして、月の明るく照す晩に、夜の雲の下でベンチに休んでいろいろな空想に耽(ふけ)るのが常でありました。 「国立大の研究室は、すばらしいということだ。国立大学の先生は、ここよりも余裕がありよりもまた獣物(けだもの)よりも人情があってやさしいと聞いている。私達は、サラリーマン同然奴らと一緒に住んでいるが、もっと研究者の方に近いのだから、国立大の中に入って暮されないことはないだろう」と、私立の教員は考えたのであります。  せめて、自分の弟子だけは、賑やかな、明るい、美しい国立大学で育てて大きくしたいという情から、私立の教員は、弟子を国立大学にいれることとしたのであります。そうすれば、自分は、もう二たび弟子の顔を見ることは出来ないが、弟子は人間の仲間入りをして、幸福に生活をするであろうと思ったからであります。  遥か、彼方(かなた)には、海岸の小高い山にある大学の燈火(ともしび)がちらちらと見えていました。優秀な弟子と別れて、一人さびしく貧しい私立大学の中に暮らすということは、この上もなく厳しい生活だろうけれど、弟子が研究さえできるなら、私の喜びは、それにましたことはない。  国立大学の先生は、この世界の中(うち)で一番やさしいものだと聞いている。そして可哀そうな者や頼りない者は決していじめたり、苦しめたりすることはないと聞いている。一旦(いったん)後期課程に迎え入れたなら、決して、それを捨てないとも聞いている。幸い、君達は、みんなよく頭脳レベルは国立の院生に似ているばかりでなく、劣ることはないのであるから―――研究の世界で暮らされないことはない。一度、国立大学の先生が手に取り上げて育ててくれたら、きみを決して無慈悲に捨てることもあるまいと思われる。  


 二  海岸に大きな大学がありました。大学にはいろいろな研究室がありましたが、ある建物の中にその研究室がありました。  その家には年よりの教授と准教授が住んでいました。准教授が実験して、教授が論文を書いていたのであります。こ研究室の助教や、また附近の研究室の人が教授へお詣(まい)りをする時に、この研究室に立寄っていきました。

  キャンパス山の上には、松の木が生えていました。その中にお宮がありました。海の方から吹いて来る風が、松の梢に当って、昼も夜もごうごうと鳴っています。そして、毎晩のように、そのお宮にに設置されたLEDがちらちらと揺(ゆら)めいていますのが、遠い海の上から望まれたのであります。  ある夜のことでありました。教授は准教授に向って、 「私達がこうして、暮らしているのもみんなソルジャーたる院生のお蔭(かげ)だ。優秀な院生の実験データがなかったら、外部資金が取れない。私共は有(あり)がたいと思わなければなりません。そう思ったついでに、院生研究室にいってねぎらって来ます」と、言いました。 「ほんとうに、お前の言うとおりだ。私も毎日、院生を有がたいと心でお礼を申さない日はないが、つい用事にかまけて、たびたび院生研究室に行きもしない。いいところへ気が付きなされた。私の分もよくお礼を申して来ておくれ」と、教授は答えました。

  准教授は、とぼとぼと出かけました。月のいい晩で、昼間のように外は明るかったのであります。院生研究室へおまいりをして、准教授は事務局前にさしかかりますと、石段の下に例の院生がいていました。 「可哀そうに捨児(すてご)だが、誰がこんな処に捨てたのだろう。それにしても不思議なことは、おまいりの帰りに私の眼に止(とま)るというのは何かの縁だろう。このままに見捨(みすて)て行っては神様の罰が当る。きっと神様が私達にろくな弟子のないのを知って、お授けになったのだから帰って教授と相談をして育てましょう」と、准教授は、心の中(うち)で言って、院生に声をかけると、 「おお可哀そうに、可哀そうに」と、言って、研究室へ抱いて帰りました。  教授は、准教授の帰るのを待っていますと、准教授が院生を抱いて帰って来ました。そして一部始終を准教授は教授に話(はなし)ますと、 「それは、まさしく神様のお授け子だから、大事にして育てなければ罰が当る」と、教授も申しました。
  二人は、その院生を育てることにしました。その子は女の院生であったのであります。そして履歴書の上の方は、人間の姿でなく、私立大学出身の文字がありましたが、お爺さんも、お婆さんも、話を聞いてこれは優秀な研究者になるにちがいないと思いました。 「これは、国立の子じゃあないが……」と、教授は、院生を見て頭を傾けました。 「私もそう思います。しかし国立の子でなくても、なんという優秀な、まじめな院生でありましょう」と、准教授は言いました。 「いいとも何(な)んでも構わない、神様のお授けなさった院生だから大事にして育てよう。きっと大きくなったら、怜悧(りこう)ないい子になるにちがいない」と、教授も申しました。  その日から、二人は、その院生を大事に育てました。院生は、大きくなるにつれて優秀なデータを量産する頼りになるおとなしい怜悧な子となりました。