昨今の大学における神話と童話

大学改革とそれによってもたらされたすばらしき世界。

ある寒い夜

ひどく寒い日でした。 雪も降っており、すっかり暗くなり、もう夜 ―― 冬の夜でした。 この寒さと暗闇の中、一人のあわれな研究者が道を歩いておりました。

研究者はラップトップをもっていました。 ええ、確かにもっていたのです。 でも、古いラップトップは何の役にも立ちませんでした。 それはとても重いコンピュータで、 これまで研究者のお母さんが使っていたものでした。もう大学からは何も支給はされないからです。
たいそう遅いコンピュータでした。 かわいそうに、大急ぎで原稿を書いたとき、研究者はそのコンピュータをこわしてしまいました。 壊れたコンピュータのかわりは見つかりませんでした。新しいコンピュータを買うにはお金が必要です。 それで研究者は街に歩いていきました。

 身体は冷たさのためとても赤く、また青くなっておりました。 研究者は古いかばんの中にたくさんの論文を入れ、 手に一たば持っていました。 研究費は自分で稼がないと。「論文、論文はいりませんか」研究者は街をよろめきながら、論文を買ってくれる人を探しました。

 日がな一日、誰も研究者から何も買いませんでした。 わずか一円だって研究者にあげる者はおりませんでした。 寒さと空腹で震えながら、 研究者は歩き回りました ―― まさに悲惨を絵に描いたようです。 かわいそうな大学教員!

 ひらひらと舞い降りる雪が研究者の長くて白色の髪を覆いました。 その髪は首のまわりに下がっています。散髪に行く時間もお金もないからです。 もう少し身なりを整えれば、注目されるのかもしれません。でも、もちろん、研究者はそんなことなんかかまっていません。

 どの窓からもLEDの輝きが広がり、 鵞鳥を焼いているおいしそうな香りがしました。 ご存知のように、今日はクリスマスです。 そうですが、研究者はそのことは考えていませんでした。 二つの家が街の一角をなしていました。 そのうち片方が前にせり出しています。 研究者はそこに座って小さくなりました。 引き寄せた研究者の小さな足は体にぴったりくっつきましたが、 研究者はどんどん寒くなってきました。

 けれど、研究室に帰るなんてできません。 論文はまったく売れていないし、 たったの一円も持って帰れないからです。このまま帰ったら、きっと天下り理事さんにぶたれてしまいます。 

それに研究室だって寒いんです。研究室に帰ったところ、寒いのと暗いのと、すきま風が吹着込むのは街に座っているのとさほど変わりはありません。 大きなひび割れだけは、紀要とぼろ切れでふさいでいますが、 上にあるものは風が音をたてて吹き込む天井だけなのですから。

 研究者の両手は冷たさのためにもうかじかんでおりました。 ああ! かばんの中から論文を取り出して、 火を付けて、その熱で身体をあたためれば、 それがたった一本の論文でも、研究者は ほっとできるでしょう。 研究者は、かつて学会で好評を博した論文の抜き刷りを取り出しました。  ≪シュッ!≫ 何という輝きでしょう。 何とよく燃えることでしょう。 温かく、輝く炎で、 上に手をかざすとまるで蝋燭のようでした。 すばらしい光です。 研究者は、 少し前の学会の様子を思い出しましたい。独法化前、ほんの少し前の暮らしです。 その時はまだ予算があり、てっぺんを目指す余裕がありました。

 論文を燃やす炎は、まわりに祝福を与えるように燃えました。 いっぱいの喜びで満たすように、炎はまわりをあたためます。 研究者は足ものばして、あたたまろうとします。 しかし、―― 小さな炎は消え、学会の幻も消えうせました。 残ったのは、手の中の燃え尽きた論文だけでした。

 研究者はもう一つ論文を取り出しました。 論文は明るく燃え、その明かりが壁にあたったところはヴェールのように透け、 ビルの中が見えました。 そこは門下さまにおつとめの方のお屋敷でした。テーブルの上には雪のように白いテーブルクロスが広げられ、 その上には豪華な磁器が揃えてあり、 焼かれた鵞鳥はおいしそうな湯気を上げ、 その中にはリンゴと乾しプラムが詰められていました。 ちょうどそのとき――論文の火はが消え、厚く、冷たく、じめじめした壁だけが残りました。

 研究者はもう一本論文に火をともしました。 すると、研究者には幻が見えました。最高に大きな図書館に座っていました。 その図書館は、 かつて見た海外の大学の図書館のようでした。何千もの本がみえ、 最新の研究成果が研究者を見おろしています。 研究者は両手をそちらへのばして――そのとき、論文の火が消えました。 星の光は高く高く上っていき、 もう天国のように見えました。 そのうちの一つが流れ落ち、長い炎の尾となりました。 「いま、誰かの情熱がなくなったんだ!」と研究者は言いました。 

というのは、おばあさん――研究者を愛したことのあるたった一人の人、いまはもう亡きおばあさん――がこんなことを言ったからです。 星が一つ、流れ落ちるとき、魂が一つ、神さまのところへと引き上げられるのよ、と。 もう一本論文に火をつけました。 すると再び明るくなり、その光輝の中におばあさんが立っていました。 とても明るく光を放ち、とても柔和で、愛にあふれた表情をしていました。

 「おばあちゃん!」と研究者は大きな声をあげました。 「お願い、わたしを連れてって! 論文が燃えつきたら、おばあちゃんも行ってしまう。 かつての学会みたいに、 海外の大学みたいに、 それから、あの大きな図書館みたいに、 おばあちゃんも消えてしまう!」 研究者は急いで、とうとう書きかけの論文にまで火をつけました。 おばあさんに、しっかりそばにいてほしかったからです。 

論文のたばはとてもまばゆい光を放ち、昼の光よりも明るいほどです。 このときほどおばあさんが美しく、大きく見えたことはありません。 おばあさんは、研究者の魂をその腕の中に抱きました。 二人は、輝く光と喜びに包まれて、高く、とても高く飛び、 やがて、もはや寒くもなく、空腹もなく、心配もないところへ――神さまのみもとにいたのです。


 けれど、あの街角には、夜明けの冷え込むころ、かわいそうな元研究者が座っていました。 薔薇のように頬を赤くし、口もとには皮肉な微笑みを浮かべ、 壁にもたれて――古い一年の最後の一日に学問を捨て、大学行政に生きることを決意したのです。 研究者は解析前のデータたくさん消して、体を硬直させてそこに座っておりました。 書きかけの論文のたばは燃えつきていました。 「家族を養うためだったんだなあ」と人々は言いました。失われた研究成果がどんなに美しい花を咲かせたかを考える人は、 誰一人いませんでした。