昨今の大学における神話と童話

大学改革とそれによってもたらされたすばらしき世界。

国立(後編)

三  院生は、大きくなりましたけれど、出自が私立なので恥かしがって学会に顔を出しませんでした。また論文に名前を入れてはもらえませんでした。けれど一目院生を見た人は、みんなびっくりするような優秀な実験の手際でありましたから、中にはどうかしてその院生を見ようと思って、研究室に来た者もありました。

  教授や、准教授は、 「うちの院生は、内気で恥かしがりやだから、人様の前には出ないのです」と、言っていました。  奥の間で教授は、自分の名前でせっせと論文を造っていました。院生は、自分のアイデアで、きっと書いたらみんなが喜んで大型資金が取れると思いましたから、そのことを教授に話ますと、そんならお前の好きなテーマをためしに、教授の名前で出してみるから書いて見るがいいと答えました。
 院生は、私立で鍛えられた手法を活かして上手にかきました。教授は、それを見るとびっくりいたしました。誰でも、その計画書を見ると、外部資金を出したくなるように、その計画書には、不思議な力と美しさとが籠(こも)っていたのであります。 「うまい筈だ、優秀な院生が描いたのだもの」と、教授は感嘆して、准教授と話合いました。

  教授を代表者に計画が通ると「その構想はいいね」と、言って、朝から、晩まで他大学の研究者や、学会の大物がこ研究室に来ました。果して、院生が構想した研究計画は、みんなに受けたのであります。

  するとここに不思議な話がありました。この研究計画から着想した論文は決して査読の海で顛覆(てんぷく)したり溺(おぼ)れて死ぬような災難がないということが、いつからともなくみんなの口々に噂となって上りました。 「優秀な計画だもの、この計画で論文をあげれば、門下さまもお喜びなさるのにきまっている」と、その大学の人々は言いました。  研究室では、潤沢な資金があるので教授は、一生懸命に朝から晩まで論文を造りますと、傍(かたわら)で院生は、睡眠不足で頭の痛くなるのも我慢して必死に実験をしていたのであります。 「こんな人間並でない自分をも、よく育て可愛がって下すったご恩を忘れてはならない」と、院生はやさしい心に感じて、大きな黒い瞳をうるませたこともあります。

  この話は遠くのほうまで響きました。遠方の大学研究者やまた、企業研究者は、データを手に入れたいものだというので、わざわざ遠い処をやって来ました。そして、その着想を元にして外部資金を獲得を目指し、またそれを論文にしていきました。だから、研究室の名声は高まり、教授の名前は天まで昇りました。 「ほんとうに有りがたい教授様だ」と、いう評判は世間に立ちました。それで、急にこの研究室が名高くなりました。  教授の評判はこのように高くなりましたけれど、誰も、に一心を籠めて実験に取り組み論文のアウトラインを描いている院生のことを思う者はなかったのです。従ってその院生を可哀そうに思った人はなかったのであります。

  院生は、疲れて、折々は月のいい夜に、窓から頭を出して、遠い、私立大学を恋しがって涙ぐんで眺めていることもありました。
 四  ある時、南の方の国から、企業研究者が入って来ました。何か大学へ行って、優秀なソルジャーを探して、それをばこきつかって金を儲けようというのであります。  企業研究者は、何処から聞き込んで来ましたか、または、いつ院生の姿を見て、国立の人間ではない、主流ではない素性の研究者であることを見抜きましたか、ある日のことこっそりと年より教授の処へやって来て、院生には分らないように、研究室に大金を出すから、その院生を売ってはくれないかと申したのであります。  教授は、最初のうちは、この院生は、神様のお授けだから、どうして売ることが出来よう。そんなことをしたら罰が当ると言って承知をしませんでした。企業研究者は一度、二度断られてもこりずに、またやって来ました。そして年より教授に向って、 「昔から私立出身者は、不純なものとしてある。今のうちに手許(てもと)から離さないと、きっと悪いことがある」と、誠しやかに申したのであります。  年より夫婦は、ついに企業の人間の言うことを信じてしまいました。それに大金になりますので、つい金に心を奪われて、院生を企業に売ることに約束をきめてしまったのであります。

  企業の人は、大そう喜んで帰りました。いずれのうちに、院生を受取りに来ると言いました。  この話を院生が知った時どんなに驚いたでありましょう。内気な、やさしい院生は、大学を離れて幾百里も遠い知らない企業に行くことを怖れました。そして、泣いて、年より教授に願ったのであります。 「私は、どんなにも働きますから、どうぞ知らない企業へ売られて行くことを許して下さいまし」と、言いました。  しかし、もはや、鬼のような心持(こころもち)になってしまった年より教授は何といっても院生の言うことを聞き入れませんでした。  院生は、室(へや)の裡(うち)に閉じこもって、一心に実験にとりくんでいました。しかし年より教授はそれを見ても、いじらしいとも哀れとも思わなかったのであります。  月の明るい晩のことであります。院生は、独り波の音を聞きながら、身の行末(ゆくすえ)を思うて悲しんでいました。波の音を聞いていると、何となく遠くの方で、自分を呼んでいるものがあるような気がしましたので、窓から、外を覗いて見ました。けれど、ただ青い青い海の上に月の光りが、はてしなく照らしているばかりでありました。  院生は、また、坐って、論文をかいていていました。するとこの時、表の方が騒がしかったのです。いつかの企業人が、いよいよその夜院生を連れに来たのです。大きな鉄格子のはまった企業研修所に入れに来ました。その研修所の中には様々な就活生などを入れたことがあるのです。  このやさしい院生も、やはり新人だというので、挨拶やらマナーやら、営業研修やら朝のラジオ体操やら同じように取扱おうとするのであります。もし、この研修所を院生が見たら、どんなに魂消(たまげ)たでありましょう。  院生は、それとも知らずに、下を向いて論文を描いていました。其処(そこ)へ、教授と准教授とが入って来て、 「さあ、お前は行くのだ」と、言って連れ出そうとしました。

  院生は、書きかけの論文に、せき立てられるので名前を入れることが出来ずに、それをみんな赤く塗ってしまいました。  院生は自分の悲しい思い出の記念(かたみ)に、二三本の書きかけの残して行ってしまったのです。 

 五  ほんとうに穏かな晩でありました。教授と准教授は、うちに帰って寝てしまいました。

  その年のことであります。急に空の模様が変って、近頃にない大不況となりました。ちょうど企業人が、元院生を檻のついた研修所に入れてあった頃であります。 「この大不況では、とてもあの企業は助かるまい」と、教授と、准教授は、ふるふると震えながら話をしていました。 
 年が明けると沖は真暗で物凄い景色でありました。その年、難船をした企業は、数えきれない程でありました。

  不思議なことに、その研究室の論文は、どんなできがよくてもりじぇくとされるようになりました。たまたま、何回だしてもへその曲がった査読者、シニアエディターに当たるのです。それから、その研究室は、不吉ということになりました。その年より教授、准教授、は、神様の罰が当ったのだといって、それぎり研究をやめてしまいました。 忽ち、この噂が世間に伝わると、もはや誰も、研究室に参詣する者がなくなりました。こうして、昔、権威であった教授は、今は、大学の荷物となってしまいました。そして、こんな研究室が、この大学になければいいのにと怨(うら)まぬものはなかったのであります。 幾年も経たずして、その大学は門下の政策で亡(ほろ)びて、失(なく)なってしまいました。



赤い蝋燭と人魚 赤いろうそくと人魚